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異世界で『黒の癒し手』って呼ばれています

※書籍版該当部分 3巻256ページ シアン視点

第一部

幕間 第71.5話  シアン


「リィーンが五公ガーヴ公を通じて申請していた魔王への謁見の希望が叶い、屋敷へ迎えに来たガーヴ公とともに魔城へ向かった」

 その知らせをシアン達が聞いたのはレオンの執務室でちょうど魔術師長を交えて打ち合わせをしている途中で飛び込んできた伝令からの報告だった。

 おりしもそこに揃っていたのはレオン、魔術師長、ヴァン、シアンと、リィーンが魔王へ謁見で何を願うかを知っている者ばかりであった。

「リィーン殿はご無事でしょうか」

「リィーンはこの世界の常識ってやつをまだ知りませんから」

「ええ、一人で行かせてよかったものか」

「五公ガーヴ殿が同行してくださっているのであろう。ガーヴ公はリィーンが異世界人であることをご存じだ。それに奥方を治した彼女をそうむげにはすまい。めったなことはないとは思うが」

 別に王に伺候することが危険なわけではない。
 が、魔族にとってヒューマンの命など軽い。その上リィーンは異世界人で、この世界の常識にうといのだ。
 それとは知らずにとんでもない無礼を働いてしまい、王か、あるいは側近たちの怒りに触れて殺される可能性もあるのだ。

 魔王は魔界という他国の王だが、ただのヒューマンの王との謁見とはわけが違う。
 ガイア神に繋がる至高のものだ。箱庭の心を支えるもの。唯一絶対神の代弁者なのだ。

 通常であれば、謁見の希望が叶えば先方から伺候する日程の連絡があり、謁見日までに相応の準備期間が与えられる。

 その日までに謁見にふさわしい衣装を整え、宮中での礼儀作法を覚えさせ、拝謁の基本的な所作など、最低限魔王の怒りに触れるようなことはさせないまでの常識は教え込む算段であったのだ。

 まさかそのまま即日魔城へ転移して連れて行かれるとは彼らも予想外であった。

 

 リィーンが異世界人であることを知る者はこのファンテスマではレオン第二王子、魔術師長、ヴァン、シアンの4名しかいない。
 レオンがいずれ折りをみて王家への報告をする予定ではあるがいまのところはこの情報をまだ漏らすつもりはない。

 今はまだ情勢が不安定だ。
 ファンテスマの安寧のため。現王家とレオンの思い描く未来を盤石とするため。
 リィーンにはまだ『ファンテスマのガイアの娘』でいてもらう必要があるのだ。

 『黒の癒し手』と『ガイアの奇跡』は民衆の心をつかんだ。

 もし彼女が異世界へ戻るというのであれば、その時もまた新しい『ガイアの奇跡』が必要となる。
 なにせ民衆の敬愛する『ガイアの娘』がわずかの痕跡も残さずに消えてしまうのだから。

 暗殺や誘拐、監禁などの疑惑の入り込む余地のないよう、大々的な奇跡の末に消えてもらう必要がある。政敵に足元をすくわれぬように。細心の注意が必要なのだ。

 そして『ガイアの娘』を失う彼ら民衆には、後世まで語り継ぐ希望の物語を与えてやらねばなるまい。

 リィーンがこの地に残るかどうかで今後の戦略が大きく変わる。
 レオンはさまざまな可能性を考えていくつもの手を打ち始めていた。

 そんな矢先のことであった。

 このまま二度と帰ってこない可能性もある。
 リィーンの生まれたかの地に送ってもらえたのであればそれはそれで対策の立てようもあるが、もし万が一魔王の勘気にふれて殺されるなどという事があればその損失の痛手はいかばかりか。

 ギューゼルバーンからガイア神の慈悲で助け出されたガイアの娘が、ガイア神につながる至高の存在に殺されるなど、決してあってはならない事だった。

 何とか無事に帰ってきてくれと、為政者としても、また一個人としての彼らも、リィーンの無事を祈るばかりであった。

 戻ってくるか、あるいはなにか進展があればリィーンの屋敷から連絡があるだろう。
 リィーンの屋敷からの『伝導話器』の知らせは第一優先で知らせることと周知し、とりあえずは執務に戻った。
 が、連絡のないまま日付が変わり、とうとう翌朝を迎えてしまった。

「今日一日待ってみよう。それでもリィーンが戻らぬ場合は五の城へ問い合わせを」

「わかりました。では俺たちは今からリィーンの屋敷へ向かいます」

「ええ。戻ってくるならリィーンの屋敷でしょう。何か判り次第ご報告いたします」

 シアンはヴァンと共にリィーンの屋敷に向かった。

 

 リィーンの屋敷では一晩帰ってこなかった主人を心配する面々がそろっていた。
 おそらく昨夜は誰も寝ていないのだろう。どれも憔悴し、緊張した顔をしている。
 クモンが不安げに問いかけてきた。

「ヴァンさん、リィーンは大丈夫なんですか」

「もし今日も戻らねえようなら殿下が五の城へ話を通してくださる」

「ええ。今は無事を祈って帰りを待つしかありません」

 じりじりとした焦燥に駆られる時間を過ごし、昼の鐘がそろそろなろうかという頃。

 結界を歪ませて強大な魔力が出現した。
 リィーンが魔族に連れられて転移してきたのだ。

「リィーン!」
「リィーンさま」
「帰ってきたっ」

 生きて戻ってきたとほっとしたシアンだったが、一緒に現れたものの姿をみて息をのんだ。

 いったい誰に送られてきたのだ、リィーンは。

 肌をビリビリとさす魔力。圧倒的な存在感。周囲を威圧する強者の風格。
 高位魔族らしい艶やかな黒髪は膝辺りまで長く、仕立てのいい黒のローブは魔族の中でも高貴な色とされている紫のさし色が使われている。

 これは――ガーヴ公よりもずっと高位の魔族かもしれない。

 そして。

 その貴人がリィーンを深く腕に抱きこみ、周りの目を憚ることもなく親愛の表情を浮かべている。

 高位魔族の愛情深さはつとに有名だ。

 所有を誇示するように回された腕は、他の者への強烈な主張であり、我がものであるとの意思表示だ。
 誰か別の男がリィーンに触れようものならその場で殺してしまうだろう。そんな姿が容易く想像できるほど明確な独占欲だった。

 昨日一日で何が起こったのかは判らないが、リィーンがこの高位魔族の寵愛を一身に受けていることは確かだった。

 高位魔族。紫のさし色。そして、彼の紫の瞳。

 不用意に名を呼びかけたヴァンに対し放たれた殺気は本気だった。
 何と呼べばいいかとの問いの答えはそこにいるすべてのものを震撼させるほどの言葉だった。

「では紫魂と」

 紫魂。この大地で紫魂と呼ばれるものはただ一人。やはり現魔王その人か。

「……リィーン……」

 シアンは万感をこめて名を呟いた。
 リィーンが首をすくませてこちらを伺うように見上げてきた。まったくこの子は……。

 また、あなたはなんという存在に目を付けられたのですか。異世界に戻してもらうために謁見を求めたのではなかったのですか。
 ここまで王の寵愛をうけて本当に帰れるとでも思っているのですか。

 思わず目で会話していると、リィーンと数秒見つめあっていることに嫉妬した紫魂王がより一層鋭利な殺気をシアンへとばしてきた。

「リィーン。もし何かあればすぐに私の名を呼べ。そなたが呼べばすぐに駆けつけよう。
 そなたは我が半身。そなたを傷つけるものは私が殺す。努々それを忘れるな」

 紫魂王はそう言うともう一度リィーンに悟られぬよう周りに殺気をとばし、虚空に消えた。

 部屋に重い沈黙が流れる。

「ええっと。あの……ただいま?」

 シアンはため息をついた。

 ――いったいどうするのです、リィーン。

 

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